自転車に乗って風を追う

カテゴリ:自転車( 45 )

戦艦「三笠」を見学

曇ってはいるが雨の心配はなさそうだし、しかも今日はフリー。
横浜あたりでも散歩に行こうかと自転車で家を出る。
が、気が変わりみなと未来も山下公園も素通りして357号線で根岸に出て16号線に入る。
そのまま16号線を久里浜まで走る。もっとも、途中の金沢八景で昼食を兼ねて休憩はした。
さほど暑くなく、晴れ間も広がってきて気持ちがいい。

久里浜の三笠公園へ行く。
2,3度きているが時間が早すぎたり、短かったりでこれまで記念艦「みかさ」を見学したことがなかったので今日はぜひとも見たかったのだ。
いや、もうひとつそうさせたものがあった。
今、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでいる途中であり、ちょうど戦艦三笠が登場したところだったからだ。a0009647_22341572.jpg

今年は日露戦争からちょうど100年の節目にあたることもあるせいか、若干見学者も多いとか。
艦内には平日にもかかわらず人の姿が見られた。

最上艦橋の床には4人分の足跡が記してある。
説明版によると急接近するバルチック艦隊を見つめていたときの司令官東郷平八郎、艦長伊地知彦次郎、参謀長加藤友三郎そして参謀の秋山真之が立っていた位置だとのこと。
今、そこから見えるのはさほど遠くない対岸の米軍施設ではあるが、同じ位置に立って見るとバルチック艦隊が見えてくるような気がしないでもない。

それにしても100年前、未だ明治になって40年弱、国家の財力も乏しい時代に将来の日本を見据えて軍備を整えなければということで当時最先端の技術による戦艦をイギリスに発注したという先人たちの先見性と勇気と努力には感心する。

ひととり見学しても未だ時間があるからと、16号線を海沿に観音崎へ向かう。
灯台下を巡る遊歩道を回ろうとしたが休憩所のあるところで先は通行止めになっていたのでやむを得ず引き返し、北側の岩場で船を見やりながら休憩とする。
対岸の富津がやけに近く見えるような気がし、とても東京湾の入り口とは思えないほどだ。
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太陽もだいぶ傾いてきた。
秋の夕暮れは足早だからと再びペダルを踏んで浦賀を経由して久里浜へと向かう。
道路わきに見える釣り船からは重そうなクーラーボックスを肩にかけてにこやかな表情の釣り客が降りてくる姿も見える。

京急久里浜のにぎやかに比べて、うら寂しさが漂うJR久里浜駅で輪行のじゅんびをはじめる。
既に薄暗くなり始めてきた。
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by kiyohito-o | 2005-10-24 21:36 | 自転車

会津路を走る

浅草から東武鉄道・野岩鉄道で会津高原駅まで輪行。
夏の暑さに慣れていた体には空気が冷たいくらいに感ずる中、会津盆地に向けて坂道を下る。
緑豊かな中を独り占めしたように下り坂をを突っ走る爽快さは格別だ。
平日に走れる幸せを感じる。

a0009647_1918368.jpg会津田島の先で国道をさけて県道を行く。
会津落合駅の先で「そば畑」と書かれた小さな看板を見つけ、ゆるい坂を上ってみると廃校になった分教場と道路の間に白い花を咲かせた蕎麦の畑があった。もう既に黒い三角の実がついている。もう少し先へ行ってみると休耕田をそば畑に変えたところがありここは未だ花がかなり白かった。

沢田というあたりは道路がやけに広い。が人家も少なく車もほとんど通らない。高原状に開けたところなのでゆったりした雰囲気があり、庭先のコスモスが陽を受けてゆれている。
と、向かい側から歩道を進んでくる小学生の列に出会った。引率の女教師と目が合ったので「こんにちわ!」と挨拶をすると会釈を返してくれた。

a0009647_22435880.jpg中妻という地区に入ると屋根の棟の中央部分を一段高くした「突き上げ棟造り」の家が見られた。他の地方でみたそれよりも突き上げ部分の棟が角のように上に反り返って突き出ているのが目を引く。

水門地区の集落を過ぎると曲がりくねった道は急な上り坂になって塔のへつりの裏側を越えるる峠になった。これまでは急な坂に出会うと簡単に押し歩いてきたが最近はいけるところまで行ってみようという気になり、ここでも何度か休みつつも上りきった。
途中で珍しく反対側から来て坂を下ってくるサイクリストに出会い、「こんにちは!」と互いに声を交わす。

塔のへつりには3月の下旬に妻とバスツアーでも訪れたが、時期はずれの大雪で展望台から眺めるだけだったので実質初めてに近かった。
釣り橋を渡り、川の流れで侵食された棚状の岩を歩くと古い時代には相当な水の流れだったろうと想像してみると、自然が変化するまでの長大な時間を実感するようだ。
みやげ物店の脇に置いた自転車に戻ってみると、店の主がしげしげとハンドルに取り付けたハンディGPSを見ている。ポケットナビゲータだと説明するとひどく感心していた。

ここから再び国道を湯野上温泉を抜けて大内宿への7キロの坂を上る。バスツアーで来た時にこの道を自転車で登ることは不可能だろうなと思っていたが、今それを実行しようとしている自分が信じられなかった。
当然一気に上ることなど私にはできるわけもないから、心臓が苦しくなってくると停車し、呼吸が落ち着くのを待つことを何度か繰り返しつつも大内宿まで登りきった。これはわれながら小さな感動だった。途中、工事現場で一歩通行の交通整理をしていた警備員氏が「よくやるね!俺にはとてもまねできねえや。」と感心してくれたのにはちょっと得意にもなり恥ずかしくもあった。
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大内宿から再び湯野上に戻り、芦の牧温泉を通り抜けひたすら会津盆地を阿賀川と会津鉄道に沿って会津若松市の門田町までひた走る。
さらに阿賀川を渡り西に進路をとって、田園の中を会津高田町のユースホステルを目指した。
ユースホステルは市街地を通り越した寺崎地区にあり、北側と西側は田んぼが広がっていた。
夕食前に同宿の客4人で市街地にある日帰り温泉施設の「あやめ荘」に送迎してもらい入浴した。

夕食後、ペアレント夫婦およびヘルパーをも交えた7人で酒を飲みながら遅くまで談笑。
昔のユースホステルでは考えられない光景だ。
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by kiyohito-o | 2005-09-21 22:56 | 自転車

奥日光を自転車で散歩

残った青春18切符の使い先を日光にした。
JR日光駅から第2いろは坂を上りきったところにある明智平までバス輪行。
明智平から中禅寺湖畔の立木観音へ寄ったあとは湖畔沿いに竜頭の滝の上へ出て戦場ヶ原へ、更に湯滝の上にある湯の湖まで。
空は青空、風もなく気温も高くなく絶好のサイクリング日和。
中禅寺湖の水の青さも、湯の湖の碧色の湖面も神秘的な色合いを濃くしている。
戦場ヶ原の草も心なしか色づきはじめているように見える。
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湯の湖で折り返して帰路は中禅寺湖から第1いろは坂を下る。
カーブがきつく連続する坂は緊張の連続であった。幸いに平日なので自動車が少ないので思い切って道の中ほどへ出ても安心なのが嬉しかった。
清滝を過ぎてついでに世界遺産に登録された東照宮へも寄ってみた。
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by kiyohito-o | 2005-09-08 22:40 | 自転車

伊豆で一泊のクラブオフ(2)

宿から自動車で大瀬崎方面を回り、戸田から達磨山へ上がる。
ここから修善寺まで一気に坂を下る。
途中から強い雨に見舞われ、ずぶぬれで修善寺に到着。初めての経験だったが夏と言う季節でもあり爽快感が身を包む。
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by kiyohito-o | 2005-09-03 23:30 | 自転車

伊豆で一泊のクラブオフ

所属する自転車クラブ「4040club」のオフ会に出る。
今日は沼津や三島あたりをポタリングして大瀬崎の付け根にあたる口野の民宿で宿泊。
大瀬崎への往復は実に快適だった!
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by kiyohito-o | 2005-09-02 23:30 | 自転車

暑い中、渡良瀬川サイクリングロードをはしる

前夜の野宿地大間々の高津戸峡は下から上る渓流の音の他に何も邪魔するものもなくゆっくりとできた。
起床すると、水辺まで遊歩道の階段を下りて顔を洗う。滔々と流れる水流は水際に立った足元へ繰り返し波を寄せてきた。
テントを撤収してから簡単に朝食を済ませ、自転車に荷物を載せる。それほど散らかしたわけでもないが備え付けの箒で東屋の中を掃除してから出発。
左岸を行くことにした。地図を見たときその方が静かな道のように思えたからだ。
道は舗装され、自動車も十分に通れる幅があったが曲がり角が多いのは地形に倣っているからだ。民家の立ち並ぶ前を行くから生活の匂いが感じられるのがいい。
程なく小さな社がありその先に「旧高津戸の渡し跡」の説明板があった。当時はさぞかし川を渡っても両側は高い崖なので上り下りが大変だったろうと想像する。
道はおおきく左側へ回り込み川から離れてゆくが路面も良いくだりだからたちまちのうちに桐生の市街地に入る。
土曜日の早朝の市街は人気も殆ど無く、時折学生の姿を見かけるだけだった。
渡良瀬川にかかる錦桜橋というあでやかな感じの名の橋へ出る。橋の中ほどに出て川上と川下の様子を眺めてみる。朝曇の天気の下でやや冴えない景色だ。
ここから左岸の土手の上は快適なサイクリングロードで早朝だけに両脇の草地の緑もすがすがしい。しかし、それもつかの間グリーンカップゴルフクラブのあたりから幾分ん快適さが薄らいできた。
足利工大の先にある鹿島橋を渡って一旦太田市に入り母方の実家の菩提寺へ寄り、ここでも形だけながらも墓参する。母方の実家へもと思ったが従兄弟が早朝勤務を終えて寝に入るところだろうかかと気がつき遠慮することにし、再び鹿島橋を渡って足利市へ戻る。
ここで携帯の電話帳を確かめるとこの近くに住まうはずの従兄弟宅の番号が登録してあったので電話をしてみると、在宅しており寄っていくようにとのことだった。その言葉に甘えて教えてもらった道筋をたどるとホントに目の前のような近さだった。
1時間半ほどお宅に上がりこんで談笑する。突然の訪問客で迷惑かと思ったが老夫婦だけの毎日の中でいい刺激になったと言ってくれたのが救いだ。
従兄弟宅を辞し、再び渡良瀬川沿いの道をを行く。雲っていた空も陽射しが強くなってきたが強くない向かい風が熱く、風を切っても涼しさが感じられなくなってきた。

足利の市街で一旦両毛線を超えて目抜き通りへでてみた。早めの昼食をと思ったのだが入りたい店が目に付かず結局福寿大橋まで行って右岸に移った。工業団地の中の味気ない道を行くと手打ちラーメン店の手書き看板に目を留めそれをたどっていくと土手下にある店に出た。
未だ12時前だからか先客は一人だったがすぐに出て行った。暑い中を走っていたので熱いラーメンは食べる気にならず冷やし中華と餃子を注文。そして未だ注文したものが出てこない間に続々と客が入りだしたちまち満席になった。ここでも私の「招き猫」ジンクスがと内心苦笑する。
食べている間にも入り口に客が並び始めたので食べ終わるやいなや追い出されるように店を出て、さてとペダルを踏み込もうとしたとき店にグローブを忘れてきたことに気がつくと同時に店の人が「これお客さんのですよね?追い出すようになってすいませんでした」と詫びをも加えて届けてくれた。

午後の暑い陽射しが右側から照り付けてくる。土手を走っているのに風に涼しさがまったくない。川は広いが水面は草に隠れて見えない。川筋は大きく蛇行しているので道もゆるく左右にカーブを描くから単調にならなくていい。
サイクリングロードが切れたので橋を渡り左岸に移る。どこか一休みできるところはないだろうかとあたりをみながら進むと寺が見えた。土手から降りる道が少し先にあるのを見つけ近づいてみると降り口には公害運動の原点と言われる足尾鉱毒事件で天皇陛下に直訴まで企てた田中正造の墓と当時の集会所跡だという雲龍寺であるとの案内だった。
足尾鉱毒事件については母からも生前に田んぼが鉱毒で一面青くなって米のとれないこともあったと聞かされたが田中正造については比較的最近になるまで深く知ることはなかったので境内にある説明板をじっくりと読んでみた。
墓所に手を合わせ、本堂脇の水道で頭から水を浴び、山門の日陰で一息入れた。

雲龍寺のすぐ先で再び左岸に移りペダルを踏むがどうにもこうにも暑い。熱中症になってはまずいとまた休むことにした。しかし、まったく日陰がないのでバッグからシートを出し、テント用の紐とペグを使って自転車から斜めに張りその下へ寝そべり、30分ほど休憩をとる。
休んでいる間に雲が広がり陽射しが弱くなったこともあり再び走り出した。
東武日光線の鉄橋をくぐるとまもなく渡良瀬遊水地に出た。

藤岡大橋のたもとから河川敷の中の道を進む。しばらく砂利道が続いたがそれもほどなく舗装路になった。両脇は背の高い草に挟まれまっすぐに伸びる道の行く手しか見えない。
こういうところだとある程度の認識があったし、真夏の日中ということもあるからまったく怖さを感じることはないが、夏以外の季節の夕方に近いじかんであったら怖さを感じるかもしれない。
ジグザグの道を登って土手畝の道にでると広大な遊水地の真っ只中にいるこtが判った。
とおく前方にはパラグライダーが空を舞っているが広い遊水地のほんの一部しか占有できていなように見えた。
遊水地の手前の方にグライダーが3,4機駐留されていたがあのグライダーも遊水地の上を周回するのだろうか。

遊水地の南端に近づいたころ再び陽がさしてきたが3時半に近くなってきたので幾分暑さも和らいだようだがそれでも暑い。
栗橋までの予定だったが日光線の新古河駅が近いのでここで終わりにしても良いかと駅前に行ってみた。雑貨屋風の店がありここで自販機の飲料を買っていると店の叔母さんがうちわを使いながら出てきて「冷たい水があるよ」とまた中に戻って手にボトルとマグカップを持って出てきた。ありがたく冷水を頂戴する。旨い!なによりのもてなしだ。
「どこからきたの?」
「今朝は大間々からきました」
「それはえらいね、この暑い中を」と半分あきれていたようにも見えた。
宅配を扱う店はないかと問うとここにはないというのであきらめて栗橋まで行くことにし、冷水のお礼を言って別れた。

再び渡良瀬川の土手を走って栗橋へ向かった。やがて行く手は右からの利根川に合流したが利根川を渡る橋がない。渡良瀬川の左岸に渡る橋はもうずっと手前になってしまったが、そこまで戻るか、利根川の左岸をさかのぼって橋を渡るか迷う。地図帳を開き、約10キロ上にある埼玉大橋を渡ることにした。
この橋はなぜか川の水面からかなり高く、川のかなり手前からアプローチが始まっているだけでなく、歩道も狭いから車道も通行量が多く気が抜けない。

橋を渡ったところで道の駅「童謡のふる里おおとね」があったので最後の休憩をとる。
雲行きが怪しくなってきたので出かけようとするところで雨が落ちだした。
どうせ汗をかいて濡れるのだからとそのまま駅に向かって走り出す。
栗橋駅までは平坦ではあるが、路面はよくない処も多い。

ようやく栗橋駅に到着。荷物を宅配で送ろうと宅配を扱う店を探すが駅前には見当たらない。
やっとコンビニを見つけて宅配を依頼し、駅に戻って輪行の準備を始めた。
ここは宇都宮線だから自宅近くの駅まで乗り換えなしの電車にのり今回のツーリングを終えた。
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by kiyohito-o | 2005-07-30 23:10 | 自転車

暑い中、関東平野を北上

朝5時30分、曇り空ではあるが蒸し暑くなりそうな予感を抱きながら家を出る。
クロスバイクにフロントバッグとサイドバッグを付け、キャリアにはテントを積んだ。今年初めてのキャンプツーリングだ。
行き先は渡良瀬川の上流部が終わりになるあたりの大間々だ。
3年前の秋に渡良瀬渓谷鉄道の終着駅「間藤(まとう)」から川に沿った道を下ったが、大間々からは川をはずれて伊勢崎、本庄へと南下したので、今回は改めて大間々から渡良瀬川沿いを走ってみようと思った。
電車で大間々まで輪行することを考えていたが、キャンプツーリングをしたかったので荷物が多くなり輪行が不可能にちかかったからやむを得ずの自走となったというわけだ。

17号線と旧中山道を使って熊谷までは何度か経験もあるから特別な思いも殆どない。
11時、開店時間を待つようにして熊谷のファミレスで早めの昼食をする。浦和を過ぎたあたりから陽が照りつけ始め暑さが辛くなってきたから冷房のきいた店内は極楽だ。

いよいよ陽射しは更に強くなるなか妻沼(めぬま)の市街地へ向かう道をたどる。車道の端はアスファルトが凸凹になっていて走りづらいから中よりに出てしまったら路線バスがクラクションを鳴らしてきたので慌てて左にハンドルをきったらバランスを崩し傍らの塀に当たって左薬指を切り血が流れ落ちてきた。救急バッグからガーゼとテープを取り出して切り口を閉じるようにしながら撒きつける。

妻沼の市街中心部にくると左手に日本三大聖天の一つとして知られる妻沼聖天山(めぬましょうでんざん)が見えたので暑さしのぎをかねて立ち寄る。この道は父が太田の病院に入院している頃バスで何度か通過したことはあるのだがこの聖天山は初めてだ。
生憎と本堂は解体修理中で見ることができなかったが如何にも時代を感じさせる山門は夏の日差しの中で悠然としていた。山門の日陰は風が通り抜けすっと汗が引く。

利根川に出て刀水(とうすい)橋を渡ると群馬県太田市に入る。ここから一気に薮塚や桐生方面へ直進してもいいのだが細谷方面へ道をたどる。江戸時代中期の思想家で明治維新の先駆者とされる人物の高山彦九郎記念館へ寄ってみたっかたのだ。
すぐ近くに従兄弟もいて時々行くこともあるのだがついぞこの記念館に行く機会が無かった。
この人物の存在を知ったのは比較的最近のことであるが、昨年に久留米でこの人の墓所がある遍照院を訪れたこともありなおさらの思いがあった。
地味な存在ではあるが、全国を行脚し幕末の混乱期に思想家のネットワークを作り上げた功績がたたえられていることに納得をする。

未だ陽は高く暑さも一段と強くなってきた道を走る。
風は送り風だし、道も平坦なので思いのほか距離が稼げるが暑い。裏手に涼しそうな木立のある神社を見つけ木立の中で休むことにする。すぐそばの児童公園の水道の蛇口をひねると冷たい水がほとばしってきた。それを頭からかぶってほてりを和らげると実に気持ちいい。
冷たい水のありがたさをしみじみと思う。
ベンチの上で寝転がりしばらくまどろんでから再び走り出そうとすると、少し前に駐車したらしいパトカーの警官が「この暑いなかを自転車でよく走るね。気をつけてくださいね!」と声を掛けてくれた。白髪頭の爺風情が自転車ツーリングなんてあきれていたのかも知れないが。
そういえば、高山彦九郎記念館の職員も東京から大間々まで行くつもりだと聞いて半分あきれていたようだった。

薮塚温泉への道を右にみて桐生方面へ進むと少しずつ勾配を感じるようになってきた。
温泉宿に泊まって一風呂浴びたらどんなにか気持ちいいだろうなと思いながらも、今宵は絶対に野宿なのだと言い聞かせる。ここで誘惑に負けたくはなかった。
もう少しで利根川に出るというあたりでコンビニに立ち寄り、どこでこの走りをやめてテントを張ってもいいように水と若干の食料を購入する。
地図を開くことも無く大間々駅方向を示すGPSの矢印と道路標識だけで走り続ける。
もうかなり走っているようなのにそれほどの疲れは感じていなかった。
大間々の市街地に入りなおも北上すると高津戸峡・撥滝橋への案内を見つけ、渡良瀬渓谷鉄道の踏切を超え川に向かうとすぐに歩行者専用の撥滝橋はあった。
橋をわたった袂から階段状の遊歩道を少し下ったところに東屋風の休憩施設があるのでここを今夜の寝所と決める。
時間は17時少し前。家を出てから12時間弱。走行距離133キロ。これは自己最高の一日の走行距離だった。

しかし、ついてみるとさすがに疲れがでてきた。とりあえず蚊取り線香だけを炊いてベンチの上で横になるといつしか寝込んでいて目が覚めたときは18時半に近かった。
もう殆ど人も通らず、渓流の流れの音だけが私の全身を包んでいる。
水分を取りすぎたためか疲れのせいか食欲も無かったので無調理で簡単に食事を済ますと蚊帳代わりにインナーテントだけを張って思い切り体を横たえることにした。
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by kiyohito-o | 2005-07-29 22:30 | 自転車

自動車との事故

自転車(クロスバイク)で出勤途上に自動車との事故にあってしまった。
大抵は幹線道路を行くのだが、今朝は時間に余裕があったことからのんびり行こうと裏通りを走った。JR東海道線沿いの道を行くと右手に大手の仕出弁当会社がある。会社の近くまでいくと事業所から数台続いて配達車がでてくるから徐行気味に進むと、右折しながら私の前にでてきた配達車は左側に駐車している車を避けるために右に蛇行する。少し先にはもう1台が駐車しているのを私は確認していたので、前を行く配達車がまた右へ曲がったのはそれを避けるためだろうと思いつつやや右寄りにゆっくりと後ろへついて走った。が、配達車は直進せずにどんどん右折して私のほうへ寄ってくるからあわてて私も右へ避けようとしたがいくらもしないうちに自転車の前輪は自動車のタイヤに接触して巻き込まれてしまった。
幸いに私自身は無意識のうちに自転車から飛びのいたので全く打撲も怪我もせず前輪大破の物損だけですんだ。
配達車が右折のウインカーを出していたら私も停止していたのだがそれもなく、なおかつドライバーはバックミラーでの確認もしていなかったと思われる。というのは、接触したときもきづかなかったようで、自転車を踏み潰して気がついたようだ。
双方が低速であったからよかったが、こちらがスピードを出していたら私も打撲や怪我の程度がおおきかったのではと想像する。

じつはこの自転車では1年前にも自動車との事故にあい、前輪を大破し交換させている。
それも裏通りではあるが信号もあるところで横断中に対向からきた右折車が前方未確認のまま一時停止をしないでぶつかったきたのだった。

安物とはいえ、買ってから丸3年。自転車自体の不良からくるトラブルもなく旧中仙道を江戸から京都まで走ったのを始め、あちこちをツーリングしてきたのだから愛着もあるので修理して乗り続けたいと思ってはいるのだがどうだろうか。

しかしそれにしても、幹線道路の車道左側をはしるよりも、裏通りや歩道を走るほうが遥かに危険を感じるようになった。歩道でも裏通りでも特に自転車に一番の危険を感じる。
自転車利用者のマナーが一段と悪くなったように思えるが、過日のニュースでどこかの県警かで調査したところ自転車の事故を起こした人の半数が自動車免許をもっていないことから、自転車に乗るについて必要な交通法規を知らないことが大きな要因でもあると報じていたが多分に肯定できる。

自分では充分に注意しているつもりではあるが相手があっての事故は防ぎようがないのである種の覚悟を持って自転車を利用するしかないといっては大げさだろうか。
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by kiyohito-o | 2005-01-18 22:22 | 自転車

もっと前からツーキニストであったなら

自転車通勤の”輪”

2年前の定年後からのパートタイムでの仕事先には自転車で通っている。
昨年は片道3キロ程度であったが、今年は片道7キロとなった。
自転車での通勤は実に気分がいい。
自転車で走っている間は余計なことを考えない。考え事などしていれば事故の危険性があるから。
それがまた精神的にもいい効果を出しているようだ。

今はかなりツーキニストが増えている。
冒頭の「仙台自転車通勤日記」のオーナーのように。
私も前の職場までの通勤を自転車ですればよかったのにと残念な気持ちだ。
片道12キロ程度で、殆どが平坦な道だからそれほど辛いことも無いはずだ。

ツーキニストであったなら、もっと早くから健康維持ができ、仕事に対しても大いにプラスに働いたのではないかと思う。
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by kiyohito-o | 2004-12-09 18:06 | 自転車

新たな視点で再発見

2004/11/28 「自転車で散歩」

知らない町へ旅するのは面白い。
しかし、知っている町でも知らないところはたくさんある。
知っているところでも、進む速さと視点が変わると見えなかったものが見えてくる。

そんな旅をするのに自転車は最適です。
どんな路地でも入りこめるし、ちょっと立ち寄るにも自動車のように駐車場を見つける必要はないし、電車バスだけよりも気ままに移動できる。
そして何よりも、健康的で環境にやさしいです。経済的です。

徒歩と自動車や電車との間の視点で新しい発見が楽しめます。

ということで私もすっかり自転車が手放せなくなってしまったのです。
いや足が抜けなくなったのです。
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by kiyohito-o | 2004-11-30 15:51 | 自転車