「ほっ」と。キャンペーン

自転車に乗って風を追う

<   2005年 08月 ( 3 )   > この月の画像一覧

戸隠神社

起床して外を見ると雨は降っていなかった。
朝食までに時間があるので庭へ出てみる。2面あるテニスコートの周囲は湿地状で池もある。
山荘の裏手へ上る細い道は小さな流れをわたるが、5月から6月ころなら水芭蕉が咲いているはずだが、今は草と木々の葉の緑一色。

朝食は和洋混在だからパンでもご飯でも好きなものを食えばいい。が味噌汁がないのがちょっとさびしいかな。
食後は妻とひとしきり卓球に興ずる。私は得意な何でも球技は好きなほうではないが、妻は卓球は得意というより好きなので無理に私を誘ったのだった。
冷房の効いた部屋でも汗をかき始めたところで終了にし、出発の支度をする。

バス停まで森の中の道を行く。登りであるにもかかわらず昨日歩いたときよりも近く感じたのは疲れの出た夕方とこれからという朝との違いだろうか。
結構早めについてしまったのとバスが少し遅れ、そのうちに結構強い雨が振り出してきたので待合所の中でじっと待つしかなかった。

バスでとりあえず奥社への入り口まで行くことにした。
雨は多少弱くなってきたが降り続いている。奥社への参道は結構広く、まっすぐに緩やかに上っていく。両側には小さい川が水の流れる音を走らせている。
先へ行くにしたがって両側に大きな杉の並木が現れる。
奥社までのおよそ2キロの半分を過ぎたころ雨が上がってきた。不ぞろいの石段をあがるころには雲間から青空ものぞきだした。
奥社は中社に比べるとずっと小さく、がけの岩の穴かに突っ込むように建っている。
晴れていれば遠くの景色が眺められそうだが今は雲に覆われている。

帰路は青空が広がりだし、あがってくるときは気づかなかった参道の途中にある藁葺きの山門の屋根の上に生えた草が陽の光に蒼く透けていた。
草の葉先の露も白く光っている。

昼食はもちろんここでは戸隠蕎麦。天ざる蕎麦を注文。蕎麦の盛り付けが変わっている。1人前の蕎麦を5つばかりに小分けにしてある。「ぼっち盛り」といって神前に備えるハレの料理だということだ。

このあと近くの戸隠民俗館・戸隠流忍法資料館へ入ってみる。民族館にはこの土地で使われた器具や衣類などが展示されているだけだが、ここで興味を引いたのは蕎麦を盛り付けるざるだった。これまで目にしてきたざるとは編み方が違って、周囲と中央部の編み方が異なっているのだ。
戸隠流忍法資料館のからくり屋敷は楽しめる。
入り口で靴を脱いで棚におき中へと進む。が、次の部屋への口が見つからない。隠し戸になっているからそれを探さなければならない。何とか他の人と協力して見つけたり、壁の汚れを頼りに探って見たりしながら進む。やがて斜めに傾いた部屋に行き当たる。畳で足が滑って上に上がれない面白さがあるが、いつまでもいると感覚がおかしくなりそうだった。
ここで終わりかと来た経路を戻って入り口にでると、係り人が「出口はここでなく部屋を回ってこないとだめだとのこと。靴を置いた棚を見るとなるほど自分の靴がないのだ。
証拠となく再び挑戦する。とても自分たちだけでは無理だったのではないかと思うほどに難しかった。が面白かった。

すっかり晴れ上がった空からの陽射しは猛烈に暑かった。蕎麦ソフトアイスを食べてほっとする。このアイス、ほのかにそば粉菓子の味わいだった。

長野駅までまたバスで戻る。今度はループ橋経由の新しい道だ。
道幅も広く、勾配もゆるい。
長野駅で東北地方に大きな地震があったことを知った。
その影響で帰着はどうなるかと心配したが、大きな障害もなく無事帰宅できた。
[PR]
by kiyohito-o | 2005-08-16 23:30 |

戸隠高原へ

朝起きてみると曇り空で少し青空がのぞくこともありほっとする。
義兄の仕事に少しばかり手を貸したあと「勝沼ぶどうきょう」駅まで送ってもらう。
よく晴れていれば景色のすばらしいホームは、私のお気に入りでもあるが今日は蒸し暑く風もないのがちょっとつらい。
普通列車を甲府、上諏訪と乗り継ぎ篠ノ井線経由で長野駅に出る。上諏訪の駅は昼だというのに諏訪湖での花火大会見物目当ての乗客でにぎわっている。乗り換え時間があるからとホームにある足湯に入ろうかとしたがこの混雑を予想して今日は臨時に閉鎖されていた。
駅前で荻野屋の「峠の釜飯」弁当を買い発車待ちの車内で昼食とする。この釜飯をトンネルの続く信越線で食べた日々はるか遠くになったのを思い出す。

長野へは何度か旅しているが篠ノ井線を使って長野市へ入るのは初めてだ。
沿線に見える家々はかなり立派なことからして比較的豊かなのだろうと想像する。列車も山間を走る路線にしては10両編成であることからして乗客の多いほうだということか。
「冠着(かむりき)」を過ぎ「姥捨(うばすて)」に近くなると車掌が先頭車両まできた。何事かといぶかっていると「スイッチバックのためにしばらく停車します」とのこと。
JR線にもまだスイッチバックが残っていたことを知らなかった。2度の折り返しで急勾配を下っていく。さすが姥捨て伝説のあった地域だと納得できるほどの高地であることを実感する。

長野駅前からバードラインを経由して大久保の茶屋までバスに乗る。建設から30年以上を経過した今は道幅も狭く、カーブは多く、勾配もきつい道で大型車の通行は禁止されているほどの道だからバードラインという軽そうな名前は不似合いだと思える。

大久保の茶屋には古くからの蕎麦屋が2軒あってドライブインの役割を果たしていたが、今はドライブインというよりも蕎麦を目的にくる人が多いのではないだろうか。
バス停からペンション村へ10分ほどくだったところに今夜の宿となる某企業グループの山荘がある。山荘までの道は舗装されているが原始林の中を行くので頭上を大きな木の枝が覆っている。
この山荘は実に30年ぶりだ。以前に来たときとは建物もコンクリート作りで、ペンションとし作られていた以前の木造2階建てとはまったく趣が違っている。
盆休みの時期とはいいながら我々夫婦のほかは3組しかおらず、半分の部屋は空いているとか。
早速に風呂に入り汗を流す。天然温泉ではないが24時間の入浴が可能だから気軽でいい。
管理人夫婦手作りの家庭料理風の夕食は結構満足がいった。
8部屋だけの山荘だから室内には卓球室とカラオケルーム以外に設備はないが、それだけにら静かでいい。
[PR]
by kiyohito-o | 2005-08-15 23:52 |

ぶどうの丘

午前中だけの仕事から戻り、手短に昼飯を済ませると最寄の駅から中央線高尾で乗り換えて勝沼ぶどうきょう駅に向かう。娘達を連れ一家で妻の実家へ里帰りした頃は新宿から普通電車が出ていたので楽だった。が10年前か、20年前にもなるか高尾から先へ行くには高尾で乗り換えねばならなくなった。その一方、通勤時間帯には大月から東京駅までの直通も走るようになり、大月も通勤圏内となってきたり、「あずさ」や「かいじ」などの特急がメインになってきている。
「勝沼」の駅名が「かつぬまぶどうきょう」に変わったのも、「初鹿野(はじかの)」の駅名が「かいやまと」に変わったのも国鉄民営化後のことだが普通電車での旅が難しくなった路線だ。

妻の実家は駅から山の方へ上っていく。徒歩で凡そ20分。
歩き出してすぐに大粒の雨が落ちてきた。かなり大きな雷鳴がとどろいていたからいつかは降ると覚悟をしていたが雨脚は速かった。
傘をさしてあるく。上りがきつくなり始めるところにある神社までくると道路はまったく濡れていなかった。水を打ったところと、そうでないところのように見事なまでにはっきりしていた。
しかし、実家の手前200メートルあたりで俄かに雨が降り出し、一旦たたんだ傘を広げる羽目になった。

a0009647_1753464.jpg盆休みで農作業を早めに切り上げた義兄と妻との三人で駅の南にある町営の「ぶどうの丘」へ出かける。
ここは大菩薩の山すそが甲府盆地と交わるあたりにある小高い丘で、勝沼、塩山、石和、山梨市などが見渡せるところで、ここに勝沼町が観光施設としてワインの試飲ができるワイン蔵を作ったのが始まりで、人気を呼ぶにつれて宿泊施設や入浴施設など拡大していった。
今も南欧風の宿泊施設など予約がとりにくいほどの人気だ。

まず、「天空の湯」と名づけられた風呂へ入る。
眺めのいい露天風呂もあるからだが、この風呂は天然温泉だから人気があるのだろう。
風呂と、ワインと、良い眺めとくれば客も来るというものか。

風呂からあがると、レストランで食事だ。
外はすっかり暗くなり、右手の塩山から正面の石和方面まで街の明かりが輝いている。いわゆる「100万ドルの夜景」というやつだ。
この夜景をみながらワイングラスを傾けつつ話が弾む。
ワインボトルが空になったところでステーキで食事。以前に比べると肉が薄くなったように感じるのはBSDの影響なのだろうか。
町民だからということもあるが、更に顔を知られている義兄はワインの酔いの勢いも加わってか係員に少しばかり皮肉を言っていた。

私もワインの酔いがなかなか醒めず、帰宅してまもなく寝入ってしまった。
[PR]
by kiyohito-o | 2005-08-14 22:00 |