自転車に乗って風を追う

追いかけてきた警察官

職場の後輩に用があったので日本橋の会社を訪ねる。
久しぶりに今日の足は「タルタルーガ」。
その後、調子の悪くなったパソコンのパーツを購入しようと秋葉原まで走る。
目指すショップは改装中で明日まで休業とのこと。
やむを得ず他の店へ物色することにする。
秋葉原も東側の開発が進み、西側の従来からの電気街の人の動きが減るかと思われたが相乗効果で増えているとのことだから、これまでと変わった様子はない。

横断歩道を渡り、車道を進もうとすると停車した車の列で走りにくいから歩道を行く。
2つ3つ歩道の縁石をがたがたと乗り越え、二人の警官が立ち番をしている脇を抜けてショップの並ぶわき道へ左折して50mほどいったとき何か後ろで声がしたような気もしたが、そのまま走っていた。しかし、何かその声に気になり自転車をとめて後ろを振り返ると、一人の警官が私を追って走ってくる。
「何かやったか?」とちょっとばかり不安を抱きながら待った。
すると、警官は手に持った物を私の方へ出しながら「落ちましたよ!」という。
「何が?」とそれをみると自転車の後輪のハブ付近に取り付けてあった後尾灯だった。
先刻、歩道の縁石を乗り越えた時の振動で抜け落ちたらしく、それも立ち番をしていた警官の足元だったらしい。

そういえば、そこを通り抜けるとき二人がこの自転車を「おや!」というように見ていたようでもあった。
それにしても、かの警官は私がゆっくりと走っていたとはいえ100m近くも追いかけてきて息をきらしていなかったのはさすがだ。

そう、この抜け落ちた後尾灯は100円ショップのものだからこんなことになるのだ。
これまでにも経験があるからもう買うのはやめよう。
やはり、しっかりしたものはそれなりの値段になるものなのだと改めて納得。
そうはいいながら、その日低価格に誘われてあるものを買ってしまった。
懲りないな!
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# by kiyohito-o | 2005-11-01 18:43 | タルタルーガ

戦艦「三笠」を見学

曇ってはいるが雨の心配はなさそうだし、しかも今日はフリー。
横浜あたりでも散歩に行こうかと自転車で家を出る。
が、気が変わりみなと未来も山下公園も素通りして357号線で根岸に出て16号線に入る。
そのまま16号線を久里浜まで走る。もっとも、途中の金沢八景で昼食を兼ねて休憩はした。
さほど暑くなく、晴れ間も広がってきて気持ちがいい。

久里浜の三笠公園へ行く。
2,3度きているが時間が早すぎたり、短かったりでこれまで記念艦「みかさ」を見学したことがなかったので今日はぜひとも見たかったのだ。
いや、もうひとつそうさせたものがあった。
今、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでいる途中であり、ちょうど戦艦三笠が登場したところだったからだ。a0009647_22341572.jpg

今年は日露戦争からちょうど100年の節目にあたることもあるせいか、若干見学者も多いとか。
艦内には平日にもかかわらず人の姿が見られた。

最上艦橋の床には4人分の足跡が記してある。
説明版によると急接近するバルチック艦隊を見つめていたときの司令官東郷平八郎、艦長伊地知彦次郎、参謀長加藤友三郎そして参謀の秋山真之が立っていた位置だとのこと。
今、そこから見えるのはさほど遠くない対岸の米軍施設ではあるが、同じ位置に立って見るとバルチック艦隊が見えてくるような気がしないでもない。

それにしても100年前、未だ明治になって40年弱、国家の財力も乏しい時代に将来の日本を見据えて軍備を整えなければということで当時最先端の技術による戦艦をイギリスに発注したという先人たちの先見性と勇気と努力には感心する。

ひととり見学しても未だ時間があるからと、16号線を海沿に観音崎へ向かう。
灯台下を巡る遊歩道を回ろうとしたが休憩所のあるところで先は通行止めになっていたのでやむを得ず引き返し、北側の岩場で船を見やりながら休憩とする。
対岸の富津がやけに近く見えるような気がし、とても東京湾の入り口とは思えないほどだ。
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太陽もだいぶ傾いてきた。
秋の夕暮れは足早だからと再びペダルを踏んで浦賀を経由して久里浜へと向かう。
道路わきに見える釣り船からは重そうなクーラーボックスを肩にかけてにこやかな表情の釣り客が降りてくる姿も見える。

京急久里浜のにぎやかに比べて、うら寂しさが漂うJR久里浜駅で輪行のじゅんびをはじめる。
既に薄暗くなり始めてきた。
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# by kiyohito-o | 2005-10-24 21:36 | 自転車

16ヶ月ぶりの娘の帰国

夕方、次女夫婦の車に同乗して成田空港へ向かう。
ワーキングホリデイでカナダに1年間、その後観光ビザでカナダとアメリカを旅行してきた末娘を出迎えに。
昨年の春、ボーイフレンドと二人でカナダに行ってくると突然言い出されたときは驚いた。
反対しようにも既に手はずを整えてしまっているのだから致し方ないといったところだ。
当然に心配は尽きないが親の私たち夫婦の方が「行って来い!」と度胸をつけざるを得なかったが、それも無事帰国とわかってほっとした。
もっとも、20日とわかってはいたが、前日の昼まで何の連絡をしてこなかったから大いに心配ではあった。

われわれが空港に到着したときは既に彼らは手続きを終え、カートに荷物を載せてロビーで待っていた。
われわれの出発がもたついたのと、彼らの乗った飛行機が予定よりも30分近く早く到着したからだった。

電車で空港にきた妻を交えた7人でターミナル内で軽食を取りつつ話を聞く。
彼の方はひげ面で表面上では変わったかなと見えたが、次女のほうはほとんど変わりないように見えた。というより若干たくましくなったかと感じさせられた。

この次女は幼稚園に入るまでは、臆病というか内気というか外出すると絶対に親の手をぎゅっと握り締めて離さないほどだったのだが小学校3年くらいになるとクラスメートと二人で鉄道のスタンプラリーをしてくるほどになったのだが、その後もますます行動的になり、かなり早い時期に親離れをしてしまった。
親としては、これがうれしいと同時にさびしい気もする。
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# by kiyohito-o | 2005-10-20 23:50 | 雑感

また警察官に声を掛けられた

タルタルーガに乗って秋葉原まで出かけた。
帰り道、品川駅前で信号待ちで止まった。そこには婦警さんが交通指導をしていた。私に気がつくと横断歩道の通行人に気を配りながらも、私のタルタルーガに視線を注いで話しかけてきた。
婦警「折りたたみですか?」
 私 「ええ、そうです」
婦警「ちょっと変わってますね」
 私 「ペダルの位置が前方なのでね」
婦警「ああ、寝そべるようにして乗るのね」
そこで、信号が黄色に変わったのでペダルを踏み出す構えをとると
婦警「お気をつけて!」
とまで言ってくれた。

このタルタルーガに乗って約1年、これまでに4回ばかり警察官に声を掛けられた。
仕事柄なのか意外に目ざとく見つけるようであるが、気軽に声を掛けてきてくれるのはシルバー世代のおじさんが乗っているからだろうか?

これまでは、警察官に声を掛けられると「何か悪いことをしたかな?」と思わず緊張したが最近は「また、話しかけられたな」としか思わなくなったが、警官を意識しなくなったら危ないかなとも考えている。 
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# by kiyohito-o | 2005-09-30 23:11 | タルタルーガ

会津路を走る

浅草から東武鉄道・野岩鉄道で会津高原駅まで輪行。
夏の暑さに慣れていた体には空気が冷たいくらいに感ずる中、会津盆地に向けて坂道を下る。
緑豊かな中を独り占めしたように下り坂をを突っ走る爽快さは格別だ。
平日に走れる幸せを感じる。

a0009647_1918368.jpg会津田島の先で国道をさけて県道を行く。
会津落合駅の先で「そば畑」と書かれた小さな看板を見つけ、ゆるい坂を上ってみると廃校になった分教場と道路の間に白い花を咲かせた蕎麦の畑があった。もう既に黒い三角の実がついている。もう少し先へ行ってみると休耕田をそば畑に変えたところがありここは未だ花がかなり白かった。

沢田というあたりは道路がやけに広い。が人家も少なく車もほとんど通らない。高原状に開けたところなのでゆったりした雰囲気があり、庭先のコスモスが陽を受けてゆれている。
と、向かい側から歩道を進んでくる小学生の列に出会った。引率の女教師と目が合ったので「こんにちわ!」と挨拶をすると会釈を返してくれた。

a0009647_22435880.jpg中妻という地区に入ると屋根の棟の中央部分を一段高くした「突き上げ棟造り」の家が見られた。他の地方でみたそれよりも突き上げ部分の棟が角のように上に反り返って突き出ているのが目を引く。

水門地区の集落を過ぎると曲がりくねった道は急な上り坂になって塔のへつりの裏側を越えるる峠になった。これまでは急な坂に出会うと簡単に押し歩いてきたが最近はいけるところまで行ってみようという気になり、ここでも何度か休みつつも上りきった。
途中で珍しく反対側から来て坂を下ってくるサイクリストに出会い、「こんにちは!」と互いに声を交わす。

塔のへつりには3月の下旬に妻とバスツアーでも訪れたが、時期はずれの大雪で展望台から眺めるだけだったので実質初めてに近かった。
釣り橋を渡り、川の流れで侵食された棚状の岩を歩くと古い時代には相当な水の流れだったろうと想像してみると、自然が変化するまでの長大な時間を実感するようだ。
みやげ物店の脇に置いた自転車に戻ってみると、店の主がしげしげとハンドルに取り付けたハンディGPSを見ている。ポケットナビゲータだと説明するとひどく感心していた。

ここから再び国道を湯野上温泉を抜けて大内宿への7キロの坂を上る。バスツアーで来た時にこの道を自転車で登ることは不可能だろうなと思っていたが、今それを実行しようとしている自分が信じられなかった。
当然一気に上ることなど私にはできるわけもないから、心臓が苦しくなってくると停車し、呼吸が落ち着くのを待つことを何度か繰り返しつつも大内宿まで登りきった。これはわれながら小さな感動だった。途中、工事現場で一歩通行の交通整理をしていた警備員氏が「よくやるね!俺にはとてもまねできねえや。」と感心してくれたのにはちょっと得意にもなり恥ずかしくもあった。
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大内宿から再び湯野上に戻り、芦の牧温泉を通り抜けひたすら会津盆地を阿賀川と会津鉄道に沿って会津若松市の門田町までひた走る。
さらに阿賀川を渡り西に進路をとって、田園の中を会津高田町のユースホステルを目指した。
ユースホステルは市街地を通り越した寺崎地区にあり、北側と西側は田んぼが広がっていた。
夕食前に同宿の客4人で市街地にある日帰り温泉施設の「あやめ荘」に送迎してもらい入浴した。

夕食後、ペアレント夫婦およびヘルパーをも交えた7人で酒を飲みながら遅くまで談笑。
昔のユースホステルでは考えられない光景だ。
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# by kiyohito-o | 2005-09-21 22:56 | 自転車

奥日光を自転車で散歩

残った青春18切符の使い先を日光にした。
JR日光駅から第2いろは坂を上りきったところにある明智平までバス輪行。
明智平から中禅寺湖畔の立木観音へ寄ったあとは湖畔沿いに竜頭の滝の上へ出て戦場ヶ原へ、更に湯滝の上にある湯の湖まで。
空は青空、風もなく気温も高くなく絶好のサイクリング日和。
中禅寺湖の水の青さも、湯の湖の碧色の湖面も神秘的な色合いを濃くしている。
戦場ヶ原の草も心なしか色づきはじめているように見える。
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湯の湖で折り返して帰路は中禅寺湖から第1いろは坂を下る。
カーブがきつく連続する坂は緊張の連続であった。幸いに平日なので自動車が少ないので思い切って道の中ほどへ出ても安心なのが嬉しかった。
清滝を過ぎてついでに世界遺産に登録された東照宮へも寄ってみた。
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# by kiyohito-o | 2005-09-08 22:40 | 自転車

伊豆で一泊のクラブオフ(2)

宿から自動車で大瀬崎方面を回り、戸田から達磨山へ上がる。
ここから修善寺まで一気に坂を下る。
途中から強い雨に見舞われ、ずぶぬれで修善寺に到着。初めての経験だったが夏と言う季節でもあり爽快感が身を包む。
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# by kiyohito-o | 2005-09-03 23:30 | 自転車

伊豆で一泊のクラブオフ

所属する自転車クラブ「4040club」のオフ会に出る。
今日は沼津や三島あたりをポタリングして大瀬崎の付け根にあたる口野の民宿で宿泊。
大瀬崎への往復は実に快適だった!
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# by kiyohito-o | 2005-09-02 23:30 | 自転車

戸隠神社

起床して外を見ると雨は降っていなかった。
朝食までに時間があるので庭へ出てみる。2面あるテニスコートの周囲は湿地状で池もある。
山荘の裏手へ上る細い道は小さな流れをわたるが、5月から6月ころなら水芭蕉が咲いているはずだが、今は草と木々の葉の緑一色。

朝食は和洋混在だからパンでもご飯でも好きなものを食えばいい。が味噌汁がないのがちょっとさびしいかな。
食後は妻とひとしきり卓球に興ずる。私は得意な何でも球技は好きなほうではないが、妻は卓球は得意というより好きなので無理に私を誘ったのだった。
冷房の効いた部屋でも汗をかき始めたところで終了にし、出発の支度をする。

バス停まで森の中の道を行く。登りであるにもかかわらず昨日歩いたときよりも近く感じたのは疲れの出た夕方とこれからという朝との違いだろうか。
結構早めについてしまったのとバスが少し遅れ、そのうちに結構強い雨が振り出してきたので待合所の中でじっと待つしかなかった。

バスでとりあえず奥社への入り口まで行くことにした。
雨は多少弱くなってきたが降り続いている。奥社への参道は結構広く、まっすぐに緩やかに上っていく。両側には小さい川が水の流れる音を走らせている。
先へ行くにしたがって両側に大きな杉の並木が現れる。
奥社までのおよそ2キロの半分を過ぎたころ雨が上がってきた。不ぞろいの石段をあがるころには雲間から青空ものぞきだした。
奥社は中社に比べるとずっと小さく、がけの岩の穴かに突っ込むように建っている。
晴れていれば遠くの景色が眺められそうだが今は雲に覆われている。

帰路は青空が広がりだし、あがってくるときは気づかなかった参道の途中にある藁葺きの山門の屋根の上に生えた草が陽の光に蒼く透けていた。
草の葉先の露も白く光っている。

昼食はもちろんここでは戸隠蕎麦。天ざる蕎麦を注文。蕎麦の盛り付けが変わっている。1人前の蕎麦を5つばかりに小分けにしてある。「ぼっち盛り」といって神前に備えるハレの料理だということだ。

このあと近くの戸隠民俗館・戸隠流忍法資料館へ入ってみる。民族館にはこの土地で使われた器具や衣類などが展示されているだけだが、ここで興味を引いたのは蕎麦を盛り付けるざるだった。これまで目にしてきたざるとは編み方が違って、周囲と中央部の編み方が異なっているのだ。
戸隠流忍法資料館のからくり屋敷は楽しめる。
入り口で靴を脱いで棚におき中へと進む。が、次の部屋への口が見つからない。隠し戸になっているからそれを探さなければならない。何とか他の人と協力して見つけたり、壁の汚れを頼りに探って見たりしながら進む。やがて斜めに傾いた部屋に行き当たる。畳で足が滑って上に上がれない面白さがあるが、いつまでもいると感覚がおかしくなりそうだった。
ここで終わりかと来た経路を戻って入り口にでると、係り人が「出口はここでなく部屋を回ってこないとだめだとのこと。靴を置いた棚を見るとなるほど自分の靴がないのだ。
証拠となく再び挑戦する。とても自分たちだけでは無理だったのではないかと思うほどに難しかった。が面白かった。

すっかり晴れ上がった空からの陽射しは猛烈に暑かった。蕎麦ソフトアイスを食べてほっとする。このアイス、ほのかにそば粉菓子の味わいだった。

長野駅までまたバスで戻る。今度はループ橋経由の新しい道だ。
道幅も広く、勾配もゆるい。
長野駅で東北地方に大きな地震があったことを知った。
その影響で帰着はどうなるかと心配したが、大きな障害もなく無事帰宅できた。
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# by kiyohito-o | 2005-08-16 23:30 |

戸隠高原へ

朝起きてみると曇り空で少し青空がのぞくこともありほっとする。
義兄の仕事に少しばかり手を貸したあと「勝沼ぶどうきょう」駅まで送ってもらう。
よく晴れていれば景色のすばらしいホームは、私のお気に入りでもあるが今日は蒸し暑く風もないのがちょっとつらい。
普通列車を甲府、上諏訪と乗り継ぎ篠ノ井線経由で長野駅に出る。上諏訪の駅は昼だというのに諏訪湖での花火大会見物目当ての乗客でにぎわっている。乗り換え時間があるからとホームにある足湯に入ろうかとしたがこの混雑を予想して今日は臨時に閉鎖されていた。
駅前で荻野屋の「峠の釜飯」弁当を買い発車待ちの車内で昼食とする。この釜飯をトンネルの続く信越線で食べた日々はるか遠くになったのを思い出す。

長野へは何度か旅しているが篠ノ井線を使って長野市へ入るのは初めてだ。
沿線に見える家々はかなり立派なことからして比較的豊かなのだろうと想像する。列車も山間を走る路線にしては10両編成であることからして乗客の多いほうだということか。
「冠着(かむりき)」を過ぎ「姥捨(うばすて)」に近くなると車掌が先頭車両まできた。何事かといぶかっていると「スイッチバックのためにしばらく停車します」とのこと。
JR線にもまだスイッチバックが残っていたことを知らなかった。2度の折り返しで急勾配を下っていく。さすが姥捨て伝説のあった地域だと納得できるほどの高地であることを実感する。

長野駅前からバードラインを経由して大久保の茶屋までバスに乗る。建設から30年以上を経過した今は道幅も狭く、カーブは多く、勾配もきつい道で大型車の通行は禁止されているほどの道だからバードラインという軽そうな名前は不似合いだと思える。

大久保の茶屋には古くからの蕎麦屋が2軒あってドライブインの役割を果たしていたが、今はドライブインというよりも蕎麦を目的にくる人が多いのではないだろうか。
バス停からペンション村へ10分ほどくだったところに今夜の宿となる某企業グループの山荘がある。山荘までの道は舗装されているが原始林の中を行くので頭上を大きな木の枝が覆っている。
この山荘は実に30年ぶりだ。以前に来たときとは建物もコンクリート作りで、ペンションとし作られていた以前の木造2階建てとはまったく趣が違っている。
盆休みの時期とはいいながら我々夫婦のほかは3組しかおらず、半分の部屋は空いているとか。
早速に風呂に入り汗を流す。天然温泉ではないが24時間の入浴が可能だから気軽でいい。
管理人夫婦手作りの家庭料理風の夕食は結構満足がいった。
8部屋だけの山荘だから室内には卓球室とカラオケルーム以外に設備はないが、それだけにら静かでいい。
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# by kiyohito-o | 2005-08-15 23:52 |