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自転車に乗って風を追う

暑い中、渡良瀬川サイクリングロードをはしる

前夜の野宿地大間々の高津戸峡は下から上る渓流の音の他に何も邪魔するものもなくゆっくりとできた。
起床すると、水辺まで遊歩道の階段を下りて顔を洗う。滔々と流れる水流は水際に立った足元へ繰り返し波を寄せてきた。
テントを撤収してから簡単に朝食を済ませ、自転車に荷物を載せる。それほど散らかしたわけでもないが備え付けの箒で東屋の中を掃除してから出発。
左岸を行くことにした。地図を見たときその方が静かな道のように思えたからだ。
道は舗装され、自動車も十分に通れる幅があったが曲がり角が多いのは地形に倣っているからだ。民家の立ち並ぶ前を行くから生活の匂いが感じられるのがいい。
程なく小さな社がありその先に「旧高津戸の渡し跡」の説明板があった。当時はさぞかし川を渡っても両側は高い崖なので上り下りが大変だったろうと想像する。
道はおおきく左側へ回り込み川から離れてゆくが路面も良いくだりだからたちまちのうちに桐生の市街地に入る。
土曜日の早朝の市街は人気も殆ど無く、時折学生の姿を見かけるだけだった。
渡良瀬川にかかる錦桜橋というあでやかな感じの名の橋へ出る。橋の中ほどに出て川上と川下の様子を眺めてみる。朝曇の天気の下でやや冴えない景色だ。
ここから左岸の土手の上は快適なサイクリングロードで早朝だけに両脇の草地の緑もすがすがしい。しかし、それもつかの間グリーンカップゴルフクラブのあたりから幾分ん快適さが薄らいできた。
足利工大の先にある鹿島橋を渡って一旦太田市に入り母方の実家の菩提寺へ寄り、ここでも形だけながらも墓参する。母方の実家へもと思ったが従兄弟が早朝勤務を終えて寝に入るところだろうかかと気がつき遠慮することにし、再び鹿島橋を渡って足利市へ戻る。
ここで携帯の電話帳を確かめるとこの近くに住まうはずの従兄弟宅の番号が登録してあったので電話をしてみると、在宅しており寄っていくようにとのことだった。その言葉に甘えて教えてもらった道筋をたどるとホントに目の前のような近さだった。
1時間半ほどお宅に上がりこんで談笑する。突然の訪問客で迷惑かと思ったが老夫婦だけの毎日の中でいい刺激になったと言ってくれたのが救いだ。
従兄弟宅を辞し、再び渡良瀬川沿いの道をを行く。雲っていた空も陽射しが強くなってきたが強くない向かい風が熱く、風を切っても涼しさが感じられなくなってきた。

足利の市街で一旦両毛線を超えて目抜き通りへでてみた。早めの昼食をと思ったのだが入りたい店が目に付かず結局福寿大橋まで行って右岸に移った。工業団地の中の味気ない道を行くと手打ちラーメン店の手書き看板に目を留めそれをたどっていくと土手下にある店に出た。
未だ12時前だからか先客は一人だったがすぐに出て行った。暑い中を走っていたので熱いラーメンは食べる気にならず冷やし中華と餃子を注文。そして未だ注文したものが出てこない間に続々と客が入りだしたちまち満席になった。ここでも私の「招き猫」ジンクスがと内心苦笑する。
食べている間にも入り口に客が並び始めたので食べ終わるやいなや追い出されるように店を出て、さてとペダルを踏み込もうとしたとき店にグローブを忘れてきたことに気がつくと同時に店の人が「これお客さんのですよね?追い出すようになってすいませんでした」と詫びをも加えて届けてくれた。

午後の暑い陽射しが右側から照り付けてくる。土手を走っているのに風に涼しさがまったくない。川は広いが水面は草に隠れて見えない。川筋は大きく蛇行しているので道もゆるく左右にカーブを描くから単調にならなくていい。
サイクリングロードが切れたので橋を渡り左岸に移る。どこか一休みできるところはないだろうかとあたりをみながら進むと寺が見えた。土手から降りる道が少し先にあるのを見つけ近づいてみると降り口には公害運動の原点と言われる足尾鉱毒事件で天皇陛下に直訴まで企てた田中正造の墓と当時の集会所跡だという雲龍寺であるとの案内だった。
足尾鉱毒事件については母からも生前に田んぼが鉱毒で一面青くなって米のとれないこともあったと聞かされたが田中正造については比較的最近になるまで深く知ることはなかったので境内にある説明板をじっくりと読んでみた。
墓所に手を合わせ、本堂脇の水道で頭から水を浴び、山門の日陰で一息入れた。

雲龍寺のすぐ先で再び左岸に移りペダルを踏むがどうにもこうにも暑い。熱中症になってはまずいとまた休むことにした。しかし、まったく日陰がないのでバッグからシートを出し、テント用の紐とペグを使って自転車から斜めに張りその下へ寝そべり、30分ほど休憩をとる。
休んでいる間に雲が広がり陽射しが弱くなったこともあり再び走り出した。
東武日光線の鉄橋をくぐるとまもなく渡良瀬遊水地に出た。

藤岡大橋のたもとから河川敷の中の道を進む。しばらく砂利道が続いたがそれもほどなく舗装路になった。両脇は背の高い草に挟まれまっすぐに伸びる道の行く手しか見えない。
こういうところだとある程度の認識があったし、真夏の日中ということもあるからまったく怖さを感じることはないが、夏以外の季節の夕方に近いじかんであったら怖さを感じるかもしれない。
ジグザグの道を登って土手畝の道にでると広大な遊水地の真っ只中にいるこtが判った。
とおく前方にはパラグライダーが空を舞っているが広い遊水地のほんの一部しか占有できていなように見えた。
遊水地の手前の方にグライダーが3,4機駐留されていたがあのグライダーも遊水地の上を周回するのだろうか。

遊水地の南端に近づいたころ再び陽がさしてきたが3時半に近くなってきたので幾分暑さも和らいだようだがそれでも暑い。
栗橋までの予定だったが日光線の新古河駅が近いのでここで終わりにしても良いかと駅前に行ってみた。雑貨屋風の店がありここで自販機の飲料を買っていると店の叔母さんがうちわを使いながら出てきて「冷たい水があるよ」とまた中に戻って手にボトルとマグカップを持って出てきた。ありがたく冷水を頂戴する。旨い!なによりのもてなしだ。
「どこからきたの?」
「今朝は大間々からきました」
「それはえらいね、この暑い中を」と半分あきれていたようにも見えた。
宅配を扱う店はないかと問うとここにはないというのであきらめて栗橋まで行くことにし、冷水のお礼を言って別れた。

再び渡良瀬川の土手を走って栗橋へ向かった。やがて行く手は右からの利根川に合流したが利根川を渡る橋がない。渡良瀬川の左岸に渡る橋はもうずっと手前になってしまったが、そこまで戻るか、利根川の左岸をさかのぼって橋を渡るか迷う。地図帳を開き、約10キロ上にある埼玉大橋を渡ることにした。
この橋はなぜか川の水面からかなり高く、川のかなり手前からアプローチが始まっているだけでなく、歩道も狭いから車道も通行量が多く気が抜けない。

橋を渡ったところで道の駅「童謡のふる里おおとね」があったので最後の休憩をとる。
雲行きが怪しくなってきたので出かけようとするところで雨が落ちだした。
どうせ汗をかいて濡れるのだからとそのまま駅に向かって走り出す。
栗橋駅までは平坦ではあるが、路面はよくない処も多い。

ようやく栗橋駅に到着。荷物を宅配で送ろうと宅配を扱う店を探すが駅前には見当たらない。
やっとコンビニを見つけて宅配を依頼し、駅に戻って輪行の準備を始めた。
ここは宇都宮線だから自宅近くの駅まで乗り換えなしの電車にのり今回のツーリングを終えた。
by kiyohito-o | 2005-07-30 23:10 | 自転車
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